プログラマって,本当に楽しい職業なのか.

ちょっとフライングして2/1のエントリにしてみる.


物には色々な見方が有り得る.私と違う見方をしているひとが居ることで,世の中は上手く回っている.このエントリは,共存共栄の"同志"を揶揄する意図ではない.



19歳かそこらで,コーディングで生活費に相当するような収入を得られるようになってから,今日まで…というか,最近になればなるほど思うのだけれど…プログラマって,楽しい職業なのだろうか

いや,プログラマである同業を必要以上に貶めるつもりはない.ましてやプログラマである自分の立場は護りたくて仕方が無い.

でも,思うのだ.プログラマは,楽しい職業なのだろうか.

プログラミングという作業は,かなり同業寄りに理解したとしても,非人間的な作業だ.
目と指先と,自らのつぶやきを聞く耳くらいしかフィードバック系が無い.ゾーン状態だフローだというのは,言い換えれば感覚遮断状態にあるとも言える.
いつかラジオで「人間の指先は,キーボードを打つ為に進化した訳ではない」という識者の意見を聞いたことがあるが,まったくそのとおりだろう.ついでに言えば,ハンダゴテを握る為に進化した訳でもない.
一つしか無いプログラムカウンタの動きを追うように,脳はできていない.最近は4個以上のプログラムカウンタがあるシステムも珍しくないが,まあそれにしても脳の動きとはかけ離れているのは脳科学を持ち出すまでもないだろう.
1ビットの違いでも大幅な挙動の違いを示すようなシステムと,人間の脳は同期しきれない.


結果として,多くの才能が,心の病で(長い時間をかけて復活しうるにせよ)一線を退く事態になっている.
こんな駄文で引用されると彼らの名誉を汚すような気がするので例示はしないけれど,間違いなく私よりも優秀なプログラマ/研究者が,心の問題で(プログラマ/研究者としては)無駄な時間を費やしたか,今でも費やしている.


ああ,だからといって,私はプログラミングを辞められない.管理者/経営者のスタートのとき,私は派遣業で,管理寄りの立場になった.あのまま,プログラマとしてのキャリアを終えて人売りとして生きて行くこともできたはずだ.その後,いくつかの変遷を経て,代表として会社を立ち上げることになった.ここでも,プログラマを辞めることはきっとできた.

派遣屋さんたちは自らのノウハウをエンジニアたちには明かしたがらないが,私は派遣屋さんに戻る気は未来永劫ないので,あっさり書く.同年代のエンジニア2名をエンドユーザに直接投入できれば,派遣営業は専業で食って行ける.この程度の条件なら,別段に営業としての能力がなくたって十分に可能だ.実際にはからっきし営業能力がない"営業"が多いために孫請け曾孫請けになるわけだけれども,その分を差し引いても10名弱くらい"コマ"が居れば社長はエンジニアリングをする必要は無くなる.いわゆる"常駐受託系"のブラック零細企業の社員数が10名前後なのには,それなりの理由がある.


閑話休題,なんの話だっけ.ああ,そうだ,プログラマが楽しい職業だったかどうかだった.
そんなわけで,私は,プログラマを辞める機会があったけれども,辞められなかった.私だけではない.キャリアが派遣屋でなくても,辞める機会があっても辞められなかった(厳密には自ら辞めなかった)人は,一定年齢以上になると目立ってくる.
今はそれほど言われなくなったが,つい最近まで35年定年説というものがあった.その前の定年説は30歳だった.辞めるための(辞めさせるための)口実はいくらでもあったのだ.


心を壊すかもしれない作業,辞める口実はある,そして,待遇も飛び抜けてよいわけでもない.7K職場とまで言われる.
それでもプログラマを辞めない.プログラミングを止められない.これは,やりがいとか好きとかいうのでは留まらない"ジャンキー"な何かがあるのではないだろうか.


メタボより危険と知りつつ喫煙や飲酒が止められない.家事や仕事があってもパチンコ屋に並んでしまう.事故すれば即死と思いつつ首都高から降りられない.
そういうダメでジャンクで筆舌に尽くしがたい衝動やサガが,プログラミングにはあるのではないだろうか.


そう思ったとき,「学生がIT業界にまつわる誤解を払拭」「プログラミングの楽しさを」的な全ての試みが,全てある種のリスクを孕んでいるようにおもえるのだ.
プログラミングって,そんな健全な建前で続けられるような楽しい職業なのかな,と.