「現場主義の人材育成法」批判,その1

墨田区役所から連絡を受けた数日後,神保町で本を買い,上野千鶴子的喧嘩法をつぶやきながら,この本を読む.つまり,即ち,そういうことです.

現場主義の人材育成法 (ちくま新書 (538))

現場主義の人材育成法 (ちくま新書 (538))



実績は否定のしようがありませんし,徹底したフィールドワーク指向には頭が下がります.
信念の人,っていうのが文章の端々から滲み出ています.一般にお役所(特に市区町村単位の)っていうのは腰が重いもので,これくらい濃ゆい人でないと改革するのは難しいのでしょう.


でも,この先10年をこの路線で続けるのは無理っしょ,っていうのが率直なところ.

男子大学生には覇気がない?

著者は「覇気がないから中国にでも行って刺激受けてこい」というようなことを言う訳で,私も買ってでもする苦労を20代前半でしておくことは悪くないとは思います.
ただ,その原因を家庭環境に求めるのは,短絡だなーオヤジ臭いなーと思う訳です.

ざっと読んだ直感として,大学生が中国から受けてくる刺激っていうのは,マニュアル化されていない仕事のスタイルだったりするようです.
確かに時給仕事におけるマニュアル化というのは,この先が想像できないくらい徹底しているわけで,それに浸かった大抵の大学生がダメダメだというのは,結構同意できます*1


じゃあ日本はすべからくマニュアル化されているかというと,そんなわけは全然なくて,著者が研究対象としている中小企業なんていうのは,創意工夫の巣窟なわけでしょう? 実際,著者はそういう中小企業を紹介する別著も出している訳です.そういうところに目をつけながら,フィードバック/フィードフォワードを(現場では地道にやっておられるようなのですが,本での流れとしては)捨てちゃっている.このダブルスタンダードをどうやって解釈すればよいのだろうか.本に出るような中小企業の割合は少ない? でも中小企業の母数ったら大変なものだしねぇ.


ばっさり斬っちゃうと,大学の文系先生にありがちな論調だなぁ,というのがミもフタもない読後感です.
自分の領域に関しては積極的に外に出る人でも,その解決に境界領域…この場合は初等教育とか…が出ると,そこにはフタをしてしまう.
大学でできる範囲のことでもやろうというのは,やらないよりは遥かにマシなのですけれど.焼け石に水だよねそれ.



自分の理想の会社を作るために経営学の本も読んだり,SESSAMEがやっているように初等教育にまで斬り込んでいく,エンジニアの社会変革手法とは対照的*2.私は,広そうに見えて実は狭い,文系先生にありがちな自由度が,実は苦手です.
著者が本当にそういう方なのかは知りません.そのうちお会いする機会があるようなので,お詫びして訂正することになるのかもしれませんけれども.

女子大学生は活発だが主婦は足手まとい?

ダメダメな男子学生に比べ,女子学生は活発で積極的だと評価しています.まあ世間的に見て女子学生のほうが活発な気はします.
一方で,サラリーマンが起業に向かない理由として,奥さんが泣いて大反対するだろうという趣旨の記述があります.

こんなあからさまな矛盾,著者は自覚できないのかなぁ….オヤジ視点.フェミ姉さんたちから消臭剤投げ込まれそうです.
女子学生は,数年後,結婚する確率が高いわけですよね.自営業の比率が年々落ちている日本では,サラリーマンと結婚する可能性が高いわけです.

まあ,関ゼミの門を叩く女子学生(豪傑)と,そうでない女子学生とで峻別できる可能性はあります.まあしかし人のココロはそんなに不連続なものでもないでしょう.

専業主婦っていうのは,20代やそこらで,生涯の経済的幸福を決するような大博打を打つわけです.
そんな投資能力を持つ存在を軽々しく扱えるほど,経営学というのは傲慢なのでしょうか.ましてや地域経営の文脈では,専業主婦というのは重要なプレイヤーだと思うのですが.

ちなみに,ごく個人的な経験ですが

家内とは職場結婚で,それから一回転職しても私はサラリーマンでした.その後,起業するわけですが,その際「会社が休眠となった.解雇だ.転職の手もあるが,起業しようと思う.自宅(2LDK賃貸)のあの部屋(4畳半)を本社にする」と告げた時の家内は,淡々としたものでした.
後日,事業がそれなりに低空飛行できるようなったころ,雑談をしていたら,しらっとこう言いのけました.

「あなたは,何があろうとも最低限の稼ぎを得るだけのネタを見つけ出してくる.今この世からコンピュータが全て無くなっても何とか凌ぐに違いない.そう信じられたから結婚したわけ.で,何を心配しろと?」

ちなみに,私の家内,父親は日産系tier1サプライヤのエンジニア(つまりサラリーマン),母親は趣味多芸な専業主婦です.起業の血は含まれておりません.

私は,たぐい稀に見る幸運に恵まれたのでしょうか? 個人的には幸運だとおもいますが(爆.
起業支援という文脈では,研究や施策の網からの漏れを暗示していそうです.

経営者育成のザル

「サラリーマンはダメだ!」というのが著者の"骨太の方針"のようで,実際に墨田区では,後継者育成のための私塾が開かれています.
後継者を育成するほうが,育成コストが低いということには異論はありません.知識だけでなく肌感覚も必要なのが中小企業経営です.肌感覚は一朝一夕に身に付きませんし学習コストも高いだろうと私も思います.(リスク/メリットについては複数の考え方があります.後述)

ただまぁ,もうそろそろ,時間切れかなと直感的に思うのが1点,網の目が粗すぎるよなと思うのが1点.

後継者育成は時間切れ,たぶん.

私,S46生まれ,俗にいう第2次ベビーブーマーです.後継者として期待される年代であるかと思うのですが….一般的に言って同世代は,課長職,早ければ部長職辺り.起業するよりも会社に残ったほうが生涯賃金が高くなる年齢が近づいています.一方,(私の両親は世間より若いのですが一般には)親であり経営者である世代は65歳前後,ガテン系だと,第一線にいるのは厳しくなる年齢です.
ベビーブーマーを超えると,急激な少子化.後継者のタネとなる人口も減っていくのは小学生でも判ります.
従来型の後継者育成は,定量評価の上で,事業のソフトランディングを考える時期のはず.この先5カ年の計画で打ち出すようなネタではありません.たぶん.

サラリーマンは起業できない,の粗さ.

著者は,クリスプに割るのが大好きなようですが,そのせいで,網から大量に漏れている可能性を指摘しておく必要があるかと思います.
例として,起業して8年ちょい会社を潰さずに済んだ私を引き合いにしましょう.


私の父は,量産できないような複雑なエアダクトの図面を引き,ブリキを叩きだす職人です.
経営者ではありません.クリスプに割るとサラリーマンです.筆者から「けっ」とか言われそうです.

しかし,ここに目の粗さがあります.父の町工場の経営者は,母の兄,つまり私の伯父です.
まあ融資申込書に実印捺すか否かというのは決定的な違いとも言えますので,私が,伯父の苦労を見た従兄弟と同レベルだと言うつもりは毛頭ありませんが.
仕事が減ればダイレクトに父のボーナスも減ります.経営方針に関して,母と叔母がなんかギスギスしてるかなーと思ったりした時期もありました.


もう一つの例,これも私の例です.
私の父は勤め人でしたが,私の母は一時期,喫茶店を経営していました.バイトも雇わないような(その代わりに私が皿洗いや調理の一部をしていましたが)小さな店でした.子供の目でも見ても拡大するとは思えない感じで,母自身も野心は全く無さそうでしたが,淡々と続けられる程度の売上げはあったのだろうと思います.たぶん中学校に入るかどうかという頃でしたが,税務官と攻防している母を見たことがあります.何度か税務署に行った記憶もあります.5年ほどしたある日,母は看護などの理由で店を畳みました.今は勤め人です.私には継ぐべき店はありません.


まとめます.私の例から推測される,網から漏れている起業者候補は2パターンあります.

  • 経営と雇用が曖昧な環境で育った子供
  • かつて経営をしていた親に育てられた子供

加えて,ロバートキヨサキ的に

  • 親に起業家の能力は無いが,血縁の無い経営者にかわいがられた子供

も稀かもしれませんが,ありえるかもしれません.


これらの子供の親は,おそらくサラリーマンです.著者の主張を本の通りに展開すると,これらの子供は,網から漏れます.


3つの属性のうち2つを持っている私はレアケースだと思いますが,どちらか1つを持っている人は少なくないでしょう.自営業者の推移から年々減少していると予測できますが,世襲継承者よりは遥かに多い母数であることは容易に想像できます.経営者と従業員は1対多の関係にあり,また,バブルによる地上げやその後の新興国攻勢により,累々たる屍(法人の,ですが)が横たわっています.その子供たちは,事業主に向かないサラリーマンとして分類されています.
これって,たぶん,もったいないです.

著者が私塾として紹介しており,墨田区の肝いりで運営されている「フロンティアすみだ塾」の紹介は,「中小企業の事業を継承し次代を担う人材の育成」とあり,世襲継承への偏重は,単なる本の記述のあやともいえない感じでもあります.「原則として区内企業の後継者・若手企業人」(「原則として」ですって!?素敵っ!お役所表現!)を対象としておられるようなのではありますが.


否定的な論調なので,蛇足的に書き加えますが,従前の後継者育成策を否定する意図ではありません.ネットの目が粗く,少子化によりネットにかかる人数も減るので,ネットを編み直す必要があるのではないかという問題提起です.成果があるうちは,従前の世襲振興を続けることに何の問題も無いとはおもいます.ただし,次で述べるリスクをヘッジした上で,ですが.

それともう一つ著者に対し有利な加筆.筆者が本格的に中小企業に関するフィールドワークを始めたのは,1970年代.つまり戦後に事業を立ち上げた層(私から見ると祖父層)から1回目の世襲が行われた時期かと思われます.この頃は,サラリーマンと企業家について,もっと単純な分類が可能であった(私のような複雑なバックグラウンドを持った起業者が少なかった)可能性は否めません.でもまあ,もう21世紀の最初の10年は過ぎちゃいましたからね.

継続的イノベーションのリスクとそのヘッジ

何を言いたいのかというと,後継者育成による事業継承は,クリステンセンがいうところの継続的イノベーションであり,熟慮の上で進めるべきですよね,ということです.
ここをきちんと踏まえないと,著者大絶賛の中国が得意とする,破壊的イノベーションの餌食にしかならない可能性があります.

後継者育成を行った後,このリスクをどうヘッジするのかについて,本書にはありません*3
ただただ,中国の活発さを讃えるのみです.


ただし,ここは注意深く歩く必要があります.

本書の当初から最後まで例示されている女子学生(たぶん相当お気に入りなのだと思う)は,事業資産を継承するが,事業は継承しないといっています.この学生の例示が意図的だとすると,著者はアジア諸国からの破壊的イノベーションの波に関するリスクなんぞ百も承知で,次著のための伏線を引いていたのかなと穿ってみたりもできます.
別のチームを作って独立的に動き破壊的イノベーションに備えるというのは,既存企業が生き残る為のイノベーションマネージメントの王道ですね.

*1:同意できる自分に,オヤジ臭さを感じてイヤですが.

*2:まあエンジニアはエンジニアで「ココロの奥底では何でも制御可能と思っているのがウザイ」と斬られるような気もし無くもないけれども.

*3:別の著書には答えがあるのかもしれませんが.手元にあと数冊積んでありますので,追って検討することにします.