クオリアとは何か.
クオリアが気になりつつ,もう1年以上放置.さらに力弱く新書を買ったのに,ツン読放置.
やっと読了.
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/10/07
- メディア: 新書
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あとがきを読んで心が生暖かくなった.
その中で,自分でも後々まで心に残るものが書けた時というのは,書いている途中で,一体自分が何を書いているのかわからなくなった時であったように思う.
きっとこの本は,後々まで筆者の心に残るに違いない.
筆者はクオリアをどう定義しているのかが,よくわからない.乳児でも捉えているであろう五感に近い(狭義の)捉えかたでは無いのか.
初めて行く外国で,見るお札が,「真札」か,それともあやしいのかということを意識的に判断する場合の差も,クオリアの差である.
とあり,その後に偽札を掴まされた経験の有無が関係することを示唆していることから,もう少し広く捉えているのだろうか.
そもそも定義がバラバラなんじゃね?
つらつら考えながらブログを旅していた.
まあ,俺様の前ではお前定義で語るなよ混乱するだろ,って気持ちは解らんでもないのではありますが.特定の用語が分野を跨げば違う定義だったりするのは,ふつーのことなので…ぶっちゃけ撃破できてないよね…
クオリアは主観的体験全般を指す言葉ではないまず一番理解してほしいのはこの点だ。日本ではまるで主観的現象の全てがクオリアのように語られることがあるが、これは誤りだ。クオリアとは機能主義では理解不能な究極の主観性のみを指して使うのが正しい。
下記のように,PC関係だけ考えても,日常茶飯事にある話.
日本ではWikipediaをWikiと略称することがあるが,これは誤りだ.Wikiとは,独自の簡易記法によりオンライン編集が可能なコンテンツ管理システムを指して使うのが正しい.
事務方面ではまるでPCの全てがWindowsのように語られることがあるが,これは誤りだ.PCとは個人に対し物理的に割当可能な計算機環境のみを指して使うのが正しい.
これらの再定義の後で,WikiWikiWebの話やアランケイの話をしても,撃破どころか交わりもできない.残念ながら.
ふつーではあるものの,しかし,俺様定義がぶつかる状況では,コラボレイティブな発見がありそうも無いですなぁ.道程は遠そうだ.